’91年式 ローバーミニクーパー
レーシーさと個性を追求して10年。真紅のチューンドキャブクーパー
真っ赤なボディにMkⅠを意識したシルエットを持ちつつ、ミニバングリルとカーボンボンネット&ヘッドライトリムでオリジナルな個性を強調したキャブクーパーベースのカスタムミニ。オーナーの10年に渡る愛情と、走りへの情熱を感じ取ることができた。
MkⅢクーパーS生産終了から19年後の1990年7月に、世界1600台、日本600台の限定でリリースされた新生ミニクーパー、通称キャブクーパーは、日本では発売当日に全車完売。’91年1月に登場したカタログモデルも爆発的なヒットを博した。ここで登場する真っ赤なカスタムミニは、今なお高い人気を博するキャブクーパーがベースだ。
オーナーの津村昌史さんはミニ歴14年。「1台目のミニは’96年式のインジェクション車でした。その後キャブ車に乗りたいと思い、10年前にこのキャブクーパーに乗り換えました」。津村さんの2台目の愛車は、車体から足回り、エンジンに至るまでフルオーダーで製作するカスタムミニとなった。車輌製作は行きつけで地元和歌山のスペシャルショップ「tta(テイクジエアー)」が請け負った。
真っ赤に全塗装されたボディはMkⅠ仕様にメイク。ただしフロントグリルはいわゆるMkⅠグリルではなく、ミニバンタイプのものをチョイスした。「赤いボディを強調したくて、同色に塗装できるバングリルにしました。それとこのグリル、装着しているクルマがあまりいなかったもので」。個性を強調するためのチョイスだが、MkⅠのシルエットは崩さないよう注意してカスタマイズしたという。
フロントとリアのバンパー、tta製のシルバーカーボンタイプをチョイス。ヘッドライトリムも同様のカーボンで、これは津村さんのカスタムコンセプト「レーシーなミニ」の象徴的部分でもある。室内に目を向けると、そこはまさにレーシーそのもの。ステアリングコラムこそMkⅠタイプを使用しているが、着脱式のボスを装備し、ステアリングはリベリーの36φドライカーボンをセットしている。オーバルのセンターメーターにもカーボンが備わり、左右のドアトリムもカーボン製としている。さらに左右のシートは運転席がコルビューのフルバケット、助手席にはコブラを装備し、その後ろにはサイトウロールケージの堅牢なケージがそびえ立つ。エアコンは敢えて外すなど、走りに特化したストイックなインテリアが刺激的だ。
エンジンは1380ccにボアアップ。キャブはウェーバーの45φを採用し、ストレートカットのクロスミッションも装備している。足回りはテンションロッドとロアアームを強化。ブレーキはKADの4ポッドに変更。その操作をダイレクトにするため、ブレーキサーボを外すという徹底ぶりだ。
細かなパーツは交換したものの、10年間このスタイルとチューンで乗り続けているという津村さん。今後もさらなる走りのテクを向上させつつ、20年、30年と真紅のキャブクーパーを愛し続けることだろう。
右/ボディメイクはMkⅠ仕様だが、フロントグリルはバンタイプを採用。シルバーカーボンのバンパーとヘッドライトリムを装備し、ヘッ
ドライトはミニデルタのミッキーマウスことシビエ復刻版ダブル反射タイプをチョイスしている。左/ワイパーもMkⅠと同じポジションに変更。
右/10インチのホイールはスピードスターのFL-Ⅱ。タイヤはアドバンのA032Rを装着する。左/レイヨットタイプのミラー
はボディ同色に塗装。シルバーカーボンのブラケットにセットされる。
右/左右にテールを伸ばすデュアルタイプのマフラーがリアビューをレーシーに演出。ライセンスプレートもしっかりMkⅠ仕様だ。左/大きめのガスキャップはいわゆるアストンタイプではなく、ACコブラやシェルビーコブラに使用されているものを加工して装着。
ステアリングコラムはMkⅠタイプだが、ラフィックスのミニ専用着脱式ボスを加工してセット。ステアリングはレベリューの36φドライカーボンをチョイスしている。
右/オーバルのセンターメーターもカーボン仕様。メーターはすべてスミス製だ。左/ドアトリムもカーボン製になっている。
右/運転席のシートはコルビューのフルバケット、助手席はコブラのローバックを装備する。左/サイトウロールケージのロールケージはttaにあったものを再塗装して装着。
右/エンジンは1380ccにボアアップ。ロッカーカバーもカーボン製を使用する。ラジエターはアルミ製に変更。ウェーバーのキャブは45φだ。グリルの後側にはオイルクーラーが収まる。左/小型のバッテリーはSHORAIのリチウムイオン。
Owner :津村昌史さん
10年前にこのキャブクーパーを入手してttaにてカスタム。以来、同じ仕様で乗り続けているという津村さん。取材は2023年の岡山インターナショナルクラシックに於いて。スポーツ走行の枠で岡山国際サーキットのフルコースを思い切り走らせていた。